印欧祖語(3)
前回書いたように,語源の分析を押し進めていくと,印欧祖語まで遡れるわけだが,そこまで行くとその存在性がはっきりとは考古学的・文献学的に確認出来ない(直接観測が難しい)。そして,そのことをむしろ面白いと言った。何故なら,全体論と要素還元主義(3)の中で触れたクォークの状況と,印欧祖語のこの状況はそっくりだからである。モノを部分に分解,分解して行くとどこかの階層から,技術的にではなく,原理的に観測不能なものに近付いて行ってしまう。言い換えると,いずれもしそれが観測出来るようになったならば,それらの要素は究極的要素ではなかったと言うことになる。そのようなメカニズムが,この宇宙にはあるのではないか?この辺りのことをもう少し突っ込んで考えようとすると,全体論と要素還元主義との相克や,物理的な話に関係して来そうなのだ。次回この辺りをもう少し触れておく。