非対称な時間の流れと偶然性 (1)

前回取り上げた宇宙のメカニズムは,時間とは何か?確率性(偶然性)とは何か?ということと関わって来る。物質の世界では,この宇宙はビッグバンから始まり,それからしばらくしてクォークレプトン(とその反粒子など)が生まれる。宇宙全体が膨張し冷えて行くにつれて,それらが集まって陽子や中性子などの様々な素粒子が生まれて来る。そう言う歴史性(時間性)が伴う。言葉の方でも,原始的状態の意味群とでも呼ぶべきものから,次第にいろいろ合体や変化・増殖を繰り返し,様々な現代語へと姿を変えて行く。ここでも,歴史性が伴う。ビッグバン直後には非常に対称性の高い状態であった。そこには,クォークレプトンの区別さえなく(これらはある意味で対称な存在だった),生成消滅を繰り返していた。それが,時間の進行に伴い(といっても実は非常に短い時間の間にめまぐるしく変化する)対称性が低くなっている。そもそも時間と言うもの自体が,過去から未来へと一方通行であり(逆流はしない),非対称な存在である。これを「時間の矢」と呼ぶ人もいる。非対称な時間が流れるということは,現実の物理現象が単なる決定論的(determinism)なものではなく,偶然性(randomness)も混ざり合ったようなものだからだろうという説があり,私もそう考えている。理系の人には,ニュートン力学だとか,ハミルトン力学系だとか,初期条件が決まればその後の運動の様子は一意的に決定されるという世界観はなじみがあるだろう。単純な例で言えば,ボールを斜めに投げ上げるとき,その瞬間の位置と速度さえ決めれば,何秒後にボールがどこにあるかは一意的に決まってしまうということだ。もし,現実の物理現象が完全に決定論的であったなら,結果も一意に決まってしまっているのだから,時間がわざわざ流れてみる必要もないのではないか?むしろ,現実の物理現象においては,本質的に偶然性が発生するので(観測誤差というものとは全く違うことに注意),実際に時間が流れてみないことにはどうなるか分からない。これが,時間が非対称的に流れるということなのではないか?

また,ニュートン力学だとか,ハミルトン力学系だとかは,時間反転に関して対称的であって(ビデオを逆回しにするような運動があり得る方程式系ということ),この意味でも決定論的世界観は現実の現象にはそもそも合っていないかもしれない。というのは,タバコの煙が拡散する現象は見たことがあっても,拡散した煙が逆流しながらタバコに戻って来る様子を目にした人はいないだろう?