印欧祖語(2)

ジョーンズは,1786 年にカルカッタ王立アジア協会において,印欧祖語のアイディアを講演したのだが,その後,それ以上の研究をしたような形跡はない。 その代わり,ドイツ人言語学者フランツ・ボップ(1791-1867)などの後続の研究者たちによって,比較言語学的な厳密な学問的手法が確立され,印欧祖語の推定(これを“再建(reconstruction)”と呼ぶ)作業が進む。様々な印欧語族の類似する単語たちを比較することで再建された。そして,1870年代末までには印欧祖語の概要は完成。しかし,一般的に受け入れられる様になったのは漸く20世紀になってからであった。と言いうのも,印欧祖語が使われていたのではないかと推定される時代には勿論,まだ文字というものは存在せず,祖語が実際にどのような言語であったかを,遺跡のような証拠から見付けることは出来そうにないからである。いつ頃,どこで話されていたかも明確にはなっていない。考古学的には,紀元前3000年~5000年前,黒海西岸あたりの地域とする説もあるそうだが,はっきりはしない。祖語は空想の産物ではないが,ある種の虚構ではあり,そのため,ここでは復元ではなく再建と言うことにする。つまり,ラテン語ギリシャ語とは違い,印欧祖語はある特定の時期に特定の地域で用いられていた現実の言語にはまだなっていない。その存在性は微妙なのである。しかし,私はこのことを否定的には捉えていない。むしろ面白いと思っているのだ。